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Liberdade

この度の熊本地震により被害を受けられた皆さまへ、心よりお見舞い申し上げますとともに、犠牲になられた皆さまのご冥福をお祈り申し上げます。一日も早い復興と、皆様のご健康を心よりお祈り申し上げます。

リベルダージ:ポルトガル語で自由という意味。サンパウロの世界最大規模の日系人街の名前である。
 
 サンパウロに到着して最初に日系人で陶芸家のパティさんという人にコンタクトを取った。
3年前、天草の丸尾焼にある巨大な窯にも入らず焼けずに放置されている作品が気になって、これはだれが作ったのか尋ねたところ、ブラジルからインターンで来た人の作品だと聞き興味を持ったことを覚えていて紹介してもらった。作品のイメージから勝手にでかい黒人男性を想像していたんだけど実際あってみるとイメージとはだいぶ違ったかわいい感じの女性だった。

 地下鉄の改札口で待ち合わせをし彼女の旦那さんのマルシオと彼の友人デービットと4人でバルへ行く。そこでコシンヤとビールをご馳走になる。コシンヤとはブラジル料理で鶏肉をハッシュドポテトで包み揚げたものだ。露店やバルなどで定番の食べ物なのだけど彼らが連れて行ってくれたバルで食べたコシンヤがブラジル中で食べたどのコシンヤよりもおいしかった。(ご馳走になったから言ってるのではなく本当にまずいやつはくそまずい。油がベトベトしていてポテトはブヨブヨで鶏肉はパサパサ。)

 2011年に起きた大震災以降、東日本は大変で海外の情報を知りたがっている人たちがたくさんいるという話から日系人はブラジル社会でどのような立ち位置なのかとか、ブラジルのアート話まで話は尽きない。
デービットの親父さんはアーティストの友人や知人も多いので家に遊びに来いと招待してくれた。そして、フェリッペという熊本県人会をまとめている青年も紹介してくれた。


 
夜8時、宿泊している宿の前に一台の黒い車が見えた。窓も黒いフィルムで覆われているので日本の感覚だと一見、怪しく見えるがブラジルでは防犯のために黒いフィルムを張ることは許可されている。フェリッペが宿まで車で迎えに来てくれた。彼は日本語が話せないから日本語が話せる友人と合流してそれから飯を食いに行こうということだ。

 
フェリッペはまだ若いがサンパウロの熊本県人会を取りまとめている。裁判官の助手の仕事をする傍ら大学に通い、将来は裁判官になるそうだ。東日本から疎開してきた人にも既に何人か会ったことがあるといっていたがあまりいい表情を見せなかった。ブラジルに問題を抱えてくるが問題を起こして去っていく人が多いというのだ。これは遠く離れたブラジルでも日本と同じ現象が起きているんだなと察し、深く話をするのをやめた。

 

 リベルダージのあたりで車を止め友人を待つ。それから間もなく、うえぇーす。こんばんわーはじめましてーよろしくーあっどもーとかなり日本的な感じの勢いで二人の男が車に乗り込んできた。小柄で眼鏡をかけている方がノボル、肌黒く大柄の方がスグルと名のった。

 ノボルはリベルダージに住んでいて通訳の仕事をしていたが現在は求職中。リベルダージの日系人と週末に飲み会をやるコミュニティーを主催していて人脈が広く情報通だ。風俗好きで夜の街にもめちゃくちゃ詳しい。

 スグルは日本で18歳まで過ごし、それからブラジルに移り住んできたそうだ。妻子持ちでブラジル料理店に勤務しているが支払われる給料と生活コストが見合わず大変だと言っていた。
 

 ブラジルの最低賃金は1200レアルから1500レアルぐらい。日本円で4万円から5万円。これでは到底生活が成り立たない。サンパウロは家賃も高く近年レアルが暴落し物価が高騰している。ワールドカップ、オリンピックの誘致に成功したブラジルは外から見ると経済上昇のバブル期真っただ中というイメージだが現実は大違い。決してお金がないというわけではないあるとこにはある。だけどそれは全体に行き届かない。そのせいで街にはホームレスやストリートチルドレンが溢れ、強盗窃盗などの犯罪も後を絶たない。負の循環。近い将来こういう日が日本にも訪れるのだろうか?

 レストランに到着しチュラスコをオーダーする。チュラスコとはブラジルで定番の肉料理。スペイン語圏のアサドと似ているがスタイルとソースが違う。定番ソースの”Molho de Vinagrete”も同時に供され、ベースとなる玉ねぎ、ピーマン、トマトを微塵切りにして塩、酢(ワインビネガー)、油(オリーブオイル)で混ぜたソースが添えられ、好みの量を切り分けた肉に和えて食する。そしてここでもみんなにご馳走になる。

 


 先日、熊本震災のことでフェリッペと連絡をとりあった。今サンパウロ中の県人会から義援金を集めてくれているそうだ。関東東北に限らず避難してきたい人たちがいたらできる限り協力してくれるとも言ってくれている。なんとも有り難い話である。彼らとは引き続き連絡を取り合うようにしている。

 デービットの親父さんはリベルダージでカブラという居酒屋を経営していてそこで待ち合わせをした。既に店の前で僕が到着するのを待っていてくれた。割腹のいい親父さんと親父さんのお兄さんとデービスと四人で車に乗り自宅へ向かう。

 車内ではいきなりタトゥーの話から入る。やはり世代的にも顔にタトゥーは見過ごせないらしい。それから旅の話、日本での生活の話、一通り話し終えたぐらいのところでデービスの自宅に到着する。

 家の中にお邪魔すると御袋さんと妹さんが食事の仕度をしてくれていた。カチャーシャをショットで渡される。カチャーシャとはサトウキビで作った酒でアルコール度数は40度くらい。グイット飲み干しライムをかじる。次にビールを渡される。この感じは久しぶりのヘベレケコースだと腹が座る。あまり飲める方ではないがノミニケーション(酔って腹を割って話をする)は日本の裏側に来てのこれは何か懐かしい嬉しさが込み上げる。

 日系人の歴史からリベルダージの歴史そして家族の歴史話まで親父さんが豪快な身振り手振りと一緒に一気に話す。ブラジルでの生活が長いからか、もともとこういう人なのか気迫押し迫る感じだ。苗字は丹治。第二次大戦後、家族で福島県から移住。建築業を廃業して兄弟で居酒屋の経営を始めたと...どっぷりふかーい話に入り始めたあたりで料理が出来上がる。

TEMAKIZUSHI by DAVID
TEMAKIZUSHI by DAVID

 親父さんが魚を裁いて刺身を丁寧に器に盛り付けてくれている。、が、非常に言いにくかった、が、魚食えませんという。ええええと家族一同ドン引き。いやぁ本当に申し訳ないです。が、海の幸一切食えませんと正直に言う。みんながっかりしたようだ。いい感じに盛り上がっていたのにもう帰っていいよと言わんばかりの雰囲気というか言われる。

 代わりに肉で手巻きの寿司を作ってもらう。ちょうどお腹も一杯になった頃猫がすり寄ってきたので膝の上に座らせるするとええええとまたもや家族一同。またまずいことをしたのかと思ったらどうやら飼い主の膝の上にさえ座ろうとしない猫が見知らぬ人の膝に座っているということが驚きだったみたいだ。その二つの出来事から親父さんには宇宙人と呼ばれるようになった

散々飲み食いさせてもらったうえにすごく気に入られ日系人コミュニティーの作家さんが多く集まる忘年会があるからと一緒に連れて行ってもらうことになった。

Kabura(Japanese Restaurant)

Address: R. Galvão Bueno, 346 - Liberdade, São Paulo - SP, 01506-000  

Phone:(11) 3277-2918 

Hours: Open today · 7PM–1:30AM


 

 忘年会は楠野裕二さんという元写真家で現在も日本とブラジルの舞踏の橋渡しをしている方の自宅で行われた。そこで僕と年のあまり変わらないくらいの人でサンパウロのグラフィティーシーンで活躍しているという人に出会う。

 その彼にサンパウロのグラフィティシーンが観光業に取り組まれていて50レアルでツアーまであるみたいですねという話をしたら今度一緒にギャラリーやグラフィティーがある場所に連れて歩いてくれるという。とてもいい人みたいだったのでお互いの連絡先を交換し後日会う約束をした。

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